「それでは、今日はここまで」

 コーデル先生は、そう告げるとほとんど間をおかずに近くの椅子に腰を下ろした。笑
顔でお疲れさま、と生徒に言うタイプではないが、それにしても今日の先生の様子は、
少しおかしい。
 昨日は、あれから一時間以上もマリアさんと話をすることができた。だから、コーデ
ル先生のそんな態度も、少しだけ納得がいく。もちろん、細かい話までは聞くことはで
きなかったから、理解といえず、なにもわかっていないのと同じだった。
 まず、コーデル先生の態度から、二人がどんな関係なのかを推測し、それをぶつける
所から始めたのだが、意外なことにただの邪推が、正鵠を射ていたらしい。

「昔、一人の男性をとりあった仲だったりしたんですか?」
「そうね、そんなところ」

 あっさりとそう答えられて、かえってこちらの方が気にしてしまった。しかし彼女は
おかまいなしに、コーデル先生のことをそれでも親友だと言い、またあの時のように仲
良く話せれば、と思ってここに戻って来たのだと言った。

「今日はありがとうございました。それでは、失礼します」

 横目で先生のことを眺めていると、リセルシアがフォルテールのケースを肩に掛け、
俺と先生に向かって頭を下げて言った。そして顔を上げると、俺に向かって付け加えた。

「あの……アーシノさん。今日これから、お時間はありますか?」
「ん? 時間?」

 時計に視線をうつすと、昨日、マリアさんがここに来たのとほぼ同じ時間になってい
た。今日は丸一日レッスンがある曜日で、俺の練習もない。しかし……また来ると言っ
ていた彼女の顔を思い出し、わずかに躊躇する。

「ファルさんから、一緒にお食事でもどうか、って」
「……ファルさんが?」
「ええ」

 今年二年になったリセルシアは、俺にとって初めて担当する生徒ということになる。
特に、あのチェザリーニの娘だということで、コーデル先生の下で働くことになったと
き、くれぐれも丁重にと学院長から直々の言葉をもらってもいる。だが、そんなことは
今はあまり関係なさそうだった。ファルさんのお誘いというのなら、断る道理もない。
マリアさんとは約束をしているわけではなかったし、それに、しばらくはこの町に残る
という話も聞いていた。

「わかった。場所は?」
「校門で待ち合わせをしています」
「コペルトじゃないのか……とすると」
「ええ……多分、そうだと思います。だから、急がないといけませんね」

 はにかむような笑みを浮かべ、リセルシアは俺の言葉を理解して補足した。
 しかし、そうして無邪気に笑った彼女の顔は、昨日見たマリアさんの笑顔とよく似て
いた。少女らしい雰囲気もそうだったし、髪の色も同じだったからだろうか。
 昔――一年も前ではなかったが、初めてリセルシアを見た時には、こんな風に笑う子
ではなかった。ファルさんから色々な話を聞いていたが、後にそれがすべて誤解だった
と知ったのは、それから少し経ってからだった。そして、彼女の父親の手引きだかなに
かでファルさんとリセルシアが組むことになり、そこからリセルシアは変わったのだと
思う。
 ファルさんは、そういう人だった。

「では、コーデル先生、今日はお先に失礼します」
「失礼します」

 リセルシアと一緒にドアの前でそう言うと、先生は低く「ああ」と答えただけで、視
線をこちらに向けようともしなかった。マリアさんから俺がなにかを聞いたのは、多分
先生もわかっているんだろうけど、それについては、なにも聞かれなかった。もっとも、
聞かれたところで答えられることもなく、また、俺から話せることもなかった。
 俺は無言で頭を下げ、廊下へと出た。
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